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スペンサー・キャヴェンディッシュ (第8代デヴォンシャー公爵) : ミニ英和和英辞書
スペンサー・キャヴェンディッシュ (第8代デヴォンシャー公爵)[こうしゃく]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [だい]
 (n,pref) ordinal
: [よ, しろ]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
: [こう]
  1. (n,suf) prince 2. lord 3. duke 4. public 5. daimyo 6. companion 7. subordinate
公爵 : [こうしゃく]
 【名詞】 1. prince 2. duke 

スペンサー・キャヴェンディッシュ (第8代デヴォンシャー公爵) : ウィキペディア日本語版
スペンサー・キャヴェンディッシュ (第8代デヴォンシャー公爵)[こうしゃく]

第8代デヴォンシャー公爵スペンサー・キャヴェンディッシュ(, 8th Duke of Devonshire, , 1833年7月23日 - 1908年3月24日)は、イギリス政治家貴族
ヴィクトリア朝期の自由党政権で閣僚職を歴任し、1875年から1880年にかけては一時的に引退したウィリアム・グラッドストンに代わって自由党党首を務めた。1886年にグラッドストン首相のアイルランド自治の方針に反対して自由党を離党し、ジョゼフ・チェンバレンとともに自由統一党を結成し、その党首となる。同党は後に保守党と連立した。保守党政権下でも閣僚職を歴任した。
1834年から1858年まではキャヴェンディッシュ卿(Lord Cavendish)〔、1858年から1891年まではハーティントン侯爵(Marquess of Hartington)の儀礼称号を使用した。
== 概要 ==
第7代デヴォンシャー公爵の息子として生まれた。ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジを卒業した(''→生い立ち'')。
1857年のでホイッグ党(後の自由党)所属の庶民院議員に当選。第二次パーマストン子爵内閣に海軍本部第一卿、第二次ラッセル伯爵内閣に、第一次グラッドストン内閣に・として入閣(''→若手自由党議員時代'')。
1875年1月に自由党党首職を辞したグラッドストンに代わって自由党党首となるが、グラッドストンが引き続き大きな影響力を発揮し、1880年に自由党が政権奪還した際には彼ではなくグラッドストンが首相に返り咲いた(''→自由党党首として'')。第二次グラッドストン内閣では、のちとして入閣した。党内ではホイッグ派の領袖としてジョゼフ・チェンバレンら新急進派と対立を深める。政府内では帝国主義派として行動し、エジプトのウラービー革命に対しては当初から武力鎮圧を主張し、スーダンのマフディーの反乱では包囲されたチャールズ・ゴードン少将の救助のため遠征軍の派遣を積極的に主張した。これらは受け入れられたが、海軍増強の訴えはグラッドストンによって退けられた(''→第二次グラッドストン内閣において'')。
第二次グラッドストン内閣の退任後、アイルランド自治を目指すようになった党首グラッドストンと対立を深め、1886年の第三次グラッドストン内閣には入閣を拒否した。グラッドストンがアイルランド自治法案を提出すると、同じくアイルランド自治に反対して下野したチェンバレンとともに自由党内アイルランド自治反対派を糾合して自由統一党を結成した(''→自由統一党の結成'')。
1886年成立の保守党政権、第二次ソールズベリー侯爵内閣に対しては閣外協力の立場に留めたが、1895年成立の第三次ソールズベリー侯爵内閣では保守党と自由統一党の連立政権を組み、彼もとして入閣した。アーサー・バルフォア内閣時の1903年にチェンバレンの関税改革案をめぐって政府が分裂した際に自由貿易派としてチェンバレンの方針に反対し、バルフォアの慰留を振り切って閣僚職を辞した(''→保守党政権下で'')。1908年に死去した(''→晩年・死去'')。
温厚な人柄で人望があったため、その影響力は大きく、政府から常に重用された(''→人物'')。妻は。1891年にデヴォンシャー公爵位を継承していたが、子供がなかったため、爵位と家督は甥のが継承した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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